いき詰った時、僕はキミに逢いたくなる。
いき詰まった時僕は
いつも飄々と とぼけ顔したキミに
逢いたくなってしまう。
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<いきづまる>を変換しようとしたら
「行き詰まる」「生き詰まる」「息詰まる」がでてきた。
その瞬間
「なんと!」
「さすが!」
「やっぱり!」
「面白い!」
などという波形をしたさざ波が
私の内側で一気に広がる。
こういう本質をついた<言葉のあや>が
わたしは大好きだ。
〈行き・生き詰まっている〉と感じている時
私たちはまさしく息が詰まっている。
本人は気づいていないが
呼吸が浅くなっているのだ。
心配性の人や鬱っぽい人は
慢性的に呼吸が浅く
体の上の方で呼吸していると言われている。
そんな呼吸をしている時は
大体の場合において
ろくなことは考えられないので
考えれば考えるほどドツボにはまっていく。
心が不安や焦りでいっぱいの状態では
物事を客観的に見ることができないし
感覚や直観も鈍っているから
すぐそこに道があるのに気づけなかったり
たとえ道が見えていたとしても
どれが自分にとって一番いい道なのかが
わからなくなってしまうのだ。
<心がしんどい時は息がちゃんとできていない>
ということを知ったおかげで
私はずいぶんと生きやすくなった。
そんな時は
問題について考えるのを一旦止めて
深くゆっくり丹田を意識しながら呼吸する。
ただ呼吸する。
すぐにいろいろ考えちゃうけど
考えてることに気づいたら
意識を呼吸に戻すようにしてみる。
吐く息が起こるのを感じることができたら
次の吸う息が起こるのを感じる。
一回の呼吸を意識する。
一回できたら次の一回というふうに
今自分がしている呼吸だけに意識を向ける。
まぁ、これがなかなか難しいのだけど。
行き詰まった時に
大自然の中に身を置きたくなるのは
本来の呼吸を取り戻すために
人間に備わった本能ではないかと思う。
自然はいつもとぼけ顔で
こっちの気持ちを
知ってるんだか知らないんだか。
何を聞いても答えてはくれない。
でも。
だからこそ
息をすることを
思い出させてくれるのではないかとも思う。
大切なことを
思い出させてくれるのではないかと思う。