出逢うべき時に人は出逢う。早からず遅からず。
ここでは
出逢うべきタイミングに出逢うべき人に
出逢えるようになっているのだと思う。
早からず遅からず
一番いい時に一番いい人に。
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<書く>という行為を通して
私は私に話しかけているんだと思う。
なにかのキッカケ・・・
それは
読んでいる本の一文だったり
映画のワンシーンだったり
カフェで隣り合わせた人の会話だったり
・・・するわけだが
その中の何かが
まるで池に投げ込まれた小石のように作用して
私は書いている。
私は
<書く>という行為でもって
自分の内側に生じたさざ波を味い
その正体を知ろうとし
<書く>という行為でもって
現れたかと思ったらすぐに消えていくさざ波が
その時確かに自分の中に存在していたという証を
綴っているのである。
いっとき私の書いた文章を
とてもたくさんの人が読んでくれる時期があった。
(1日数千人、あるいはそれ以上)
中には
毎日ノートに書き写す人や
「あなたの書く文章を読んで、人生が好転していった」と
お礼のメッセージをくれる人もいた。
それはそれで書き手としては
とても嬉しいことだけど
実はそんなことはどうでもよかったりした。
なぜならそれらの文章は
私が私のために書いていたからだ。
どんなに短いものでも
わたしは自分が書いた文章を何度も読み返し
アップした後にも手を入れたりした。
(いつも公開ボタンを押した後に
もっといい表現が湧いてくるから不思議である)
その工程の中で
私は自分の内側にできたさざ波を
理解し、自分のものにしていったのだと思う。
こんな風に書いていると
いろんなことをわかった人のようだけど
実は全くそうではない。
そうではないから
私は<書く>のだ。
願うように。
祈るように。