わたし文庫

詩やショートストーリーやエッセイなど、ふとしたキッカケでわたしの中に生まれたストーリーを感じたままに綴っています♪

心を柔らくする方法

「知っている」から

 

「知りたい」「教えてほしい」に変えるだけで

 

心は柔らかくなる。

 

 

============

 

 

 

年齢を重ねていくとそれに比例して

知識や経験も積み重なっていく。

 

 

興味のある分野や実践してきた分野になると、

特に。

 

 

 

私の場合

料理や旅行、心理学やスピリチュアルなどが

それにあたる。

 

 

 

今日、すでに私の知っていることを

みんなの前で語り出した人がいた。

 

 

 

私は心の中でつぶやいた。

 

 

「そんなこと、もう知っている」

 

 

 

 

もっと言うと

「こんなことも、あんなことも知っている」

「あなたより私の方がよく知っている」

というつぶやきまでもが、私の中に生まれていた。

 

 

 

もちろん

心の中のつぶやきは隠して

表面的にはふんふんと聞いている(ふりをしている)

 

 

 

が、

わたしの心は

ガラガラとシャッターを下ろして

まるで聞く耳なんて持っちゃいない。

 

 

 

 

聞いているけど、聞いてないのだ。

 

 

 

シャッターを下りた薄暗い場所で

その話が終わるのを待っている私がいた。

 

 

 

今日はそんな自分がいることに気づけた。

 

 

そしたら

こんな声が私の中から聞こえてきた。

 

 

 

ちょっと待てよ。

これって、すごく損してない?

 

 

「もう知っている」

「私の方が知っている」

というのを一旦脇に置いて

 

素直な気持ちで人の話を聞いてみたら

何か新しい発見があるかもよ?

 

そこに私の人生が

もっと良くなるヒントがあるかもよ?

 

 

 

そう思えたら

心がふわぁっと柔らくなるのを感じた。

 

 

一瞬だった。

 

心地よかった。

 

 

心は硬いより柔らかい方が心地いいのだ。

 

 

 

 

 

この感覚を忘れずに

日々過ごしたい。

 

 

 

どんな人もどんな事も

私の先生。

 

 

 でも

こんな風に思っていても

すぐ忘れちゃう私だから・・・

 

 

 

その時はまた教えてくださいね、先生♪

 

 

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だから強く深く繋がれるんだ

困ったことや苦手なこと、出来ないことが

あるおかげで

 

私たちは

強く深く繋がっていけるのかもしれないね。

 

 

==============

 

 

うすうす気づいてはいたが

わたしはちょっとした引きこもりだ。

 

 

 

家が好きで

必要がなければ家にいたい。

 

 

 

ひとりも好きだ。

 

 

正直寂しいと感じる時も多々あるけど

大して会いたくもない人と会って

あんまり興味のない話を聞くぐらいなら

ひとりの方がマシだと思ってしまう。

 

 

 

 

趣味も

読書や映画鑑賞、料理、旅行、カメラ、

文章を書くこと…と

ひとりでできることばかり。

 

 

映画や料理、旅行なんかは

誰かと一緒も楽しいけど

わたしの場合、ひとりでも大丈夫。

 

 

 

スポーツも

ヨガ、ピラティス

ゴルフの打ちっ放し、トレッキングなど

ひとりでできるものが好きで

人と絡むのが少なくていいものばかりを

無意識のうちに選んでいて、

これに気づいた時は

さすがに自分でもビックリした(笑)

 

(スポーツの場合、同時に

運動神経がいらないやつを選んでるという説もある)

 

 

 

 

だからわたしの場合

必要がないと

ホント人と絡まない。

 

 

 

時間もお金も健康も

なーんにも問題ないのは

とてもありがたいことだけど

 

困ったこととがあった方が

人と繋がっていけるんだなぁと思った。

 

 

 

お金がないから仕事に行く。

仕事にいけば、

何かしらの問題や課題がでてくる。

人に聞く。頼む。調整する。

謝る。感謝する。

 

困っている人がいたら
自分が助ける側になることもあるだろう。

 

苦手なタイプの人の意外な一面を

知ることもあるだろう。

 

 

 

 

 

何も困ってなかったら

苦手なタイプの人には近づかないから

キラリとひかる意外な一面…

 

それはたぶん

〈相手の中にあるキラリ〉と

〈自分の中にあるキラリ〉

 

を、知らないまま生きていくことになる。

 

 

 

 

かといって今更

すご〜く困ったことはいらないけど

 

いいご縁を繋いでくれる〈ちょっと困ったこと〉が

わたしの日常に起こったらいいなと思う。

 

 

 

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いき詰った時、僕はキミに逢いたくなる。

いき詰まった時僕は

 

いつも飄々と とぼけ顔したキミに

 

逢いたくなってしまう。

 

 

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<いきづまる>を変換しようとしたら

 

「行き詰まる」「生き詰まる」「息詰まる」がでてきた。

 

 

 

その瞬間

 

「なんと!」

 

「さすが!」

 

「やっぱり!」

 

「面白い!」

 

などという波形をしたさざ波が

私の内側で一気に広がる。

 

 

こういう本質をついた<言葉のあや>が

わたしは大好きだ。

 

 

 

 

 

 

〈行き・生き詰まっている〉と感じている時

私たちはまさしく息が詰まっている。

 

 

 

本人は気づいていないが

呼吸が浅くなっているのだ。

 

 

 

心配性の人や鬱っぽい人は

慢性的に呼吸が浅く

体の上の方で呼吸していると言われている。

 

 

 

 

 

 

 

そんな呼吸をしている時は

大体の場合において

ろくなことは考えられないので

考えれば考えるほどドツボにはまっていく。

 

 

心が不安や焦りでいっぱいの状態では

物事を客観的に見ることができないし

感覚や直観も鈍っているから

すぐそこに道があるのに気づけなかったり

 

たとえ道が見えていたとしても

どれが自分にとって一番いい道なのかが

わからなくなってしまうのだ。

 

 

 

 

 

<心がしんどい時は息がちゃんとできていない>

ということを知ったおかげで

私はずいぶんと生きやすくなった。

 

 

 

そんな時は

問題について考えるのを一旦止めて

深くゆっくり丹田を意識しながら呼吸する。

 

 

 

ただ呼吸する。

 

 

 

すぐにいろいろ考えちゃうけど

考えてることに気づいたら

意識を呼吸に戻すようにしてみる。

 

 

 

吐く息が起こるのを感じることができたら

次の吸う息が起こるのを感じる。

 

 

一回の呼吸を意識する。

 

 

一回できたら次の一回というふうに

今自分がしている呼吸だけに意識を向ける。

 

 

 

まぁ、これがなかなか難しいのだけど。

 

 

 

 

 

行き詰まった時に

大自然の中に身を置きたくなるのは

本来の呼吸を取り戻すために

人間に備わった本能ではないかと思う。

 

 

 

自然はいつもとぼけ顔で

こっちの気持ちを

知ってるんだか知らないんだか。

何を聞いても答えてはくれない。

 

 

 

でも。

 

 

 

だからこそ

息をすることを

思い出させてくれるのではないかとも思う。

 

大切なことを

思い出させてくれるのではないかと思う。

 

 

 

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出逢うべき時に人は出逢う。早からず遅からず。

ここでは

出逢うべきタイミングに出逢うべき人に

出逢えるようになっているのだと思う。

 

早からず遅からず

一番いい時に一番いい人に。

 

 

 

========== 

 

 

<書く>という行為を通して

私は私に話しかけているんだと思う。

 

 

なにかのキッカケ・・・

 

それは

読んでいる本の一文だったり

映画のワンシーンだったり

カフェで隣り合わせた人の会話だったり

・・・するわけだが

 

その中の何かが

まるで池に投げ込まれた小石のように作用して

私は書いている。

 

 

 

私は

 

<書く>という行為でもって

自分の内側に生じたさざ波を味い

その正体を知ろうとし

 

<書く>という行為でもって

現れたかと思ったらすぐに消えていくさざ波が

その時確かに自分の中に存在していたという証を

綴っているのである。

 

 

 

いっとき私の書いた文章を

とてもたくさんの人が読んでくれる時期があった。

(1日数千人、あるいはそれ以上)

 

中には

毎日ノートに書き写す人や

「あなたの書く文章を読んで、人生が好転していった」と

お礼のメッセージをくれる人もいた。

 

 

それはそれで書き手としては

とても嬉しいことだけど

 

実はそんなことはどうでもよかったりした。

 

 

なぜならそれらの文章は

私が私のために書いていたからだ。

 

 

 

どんなに短いものでも

わたしは自分が書いた文章を何度も読み返し

アップした後にも手を入れたりした。

 

(いつも公開ボタンを押した後に

もっといい表現が湧いてくるから不思議である)

 

 

その工程の中で

私は自分の内側にできたさざ波を

理解し、自分のものにしていったのだと思う。

 

 

こんな風に書いていると

いろんなことをわかった人のようだけど

実は全くそうではない。

 

 

そうではないから

私は<書く>のだ。

 

 

 

願うように。

 

祈るように。

 

 

 

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それ以上でも以下でもないキス

何も変えることのないキスに
私たちが成功したらいいな、と思う。

 

==========

 

 

昨日の夜

ちゅーをした。

 

 

 

 相手はボーイフレンド。

 

 

10代20代ならいざ知らず45才のわたしが

ボーイフレンドという言葉を使うのは

どうかと思うが

 

それ以外に彼との関係を

うまくいい表す言葉がみつからないので

やっぱり彼はボーイフレンドなのだ。

 

 

 

ちなみに彼は49才。

 

こちらも世間一般には

ボーイフレンドと呼ばれるのが

似合う年ではない。

 

 

 

 

49才のボーイフレンドとは

年に数回会う。

 

 

昨夜は駅前で一緒に飲んだ。

 

 

 

月の明るい夜だった。

 

 

 

いつも通り

店の前の小道でバイバイしようと思い

「ごちそうさま。それじあ、またね。

おやすみ〜〜〜」と言った。

 

 

いつもは

「あいよー、おやすみ」と片手をあげながら

反対方向に歩き始める彼が

 

その日に限って「おやすみ」と言った後

わたしの方に近づいてきた。

 

 

何かと思ったら

唇を寄せてきたのだ。

 

 

 

一瞬唇がふれただけの

軽い軽いキスだった。

 

 

 

彼が唇を寄せてきた時

私は一瞬どうしようか迷った。

 

 

 

受けるべきか、かわすべきか。

 

 

 

突然だったけど

かわそうと思えばかわせたと思う。

 

 

唇が触れ合う直前

一瞬の間があったからだ。

 

 

唇が触れる前

私の同意を確認するために

彼は顔を近づけるのをいったん止めた。

 

 

 

 

 

彼と付き合うつもりはない。

 

 

 

寝るつもりもない。

 

 

 

彼との関係を変えたいとは思っていないし

彼のために自分の生活を変えるつもりもない。

 

 

 

 

だから

普段の私ならキスはNOなのだ。

 

 

 

私はなんとなくキスしたり

その場限りの関係を持つことを好まない。

 

 

 

そういうことをするのが

いいとか悪いとかの話ではなく

ただ単に私の好みの問題だ。

 

 

 

それを好んでやっているなら

全然いいと思う。

 

 

 

好まないといっても

私とて

今までに一度もしたことがないわけではない。

 

 

 

何回か「その場限り」というやつを

試してみたけど

私の中には虚しさしか残らなかった。

 

 

そして

その虚しさと引き換えにしてもいいほどの快楽は

残念ながら得られなかった。

 

 

 

だから自然とやらなくなっただけで

私自身、高尚な倫理観や信条を

持っているわけではないのだ。

 

 (引き換えにしてもいいほどの快楽を

得られていたら違っていたかもしれない)

 

 

 

 

 

 

今回、なぜ彼とキスしてしまったのか

自分でもわからない。

 

 

 

昨夜は、二度キスをした。

 

二度目のキスも

一度目の軽い軽いキスと

なんら変わらなかった。

 

 

 

 家に帰って寝つくまでの間

今しがた交わしたキスのことが

頭を離れなかった。

 

 

 

なんでしちゃったんだろ??と

思ったりもした。

 

 

 

でも

虚しさはなかった。

 

快楽もなかったけど。

 

 

 

 

次、彼と会うのは

たぶんまた数ヶ月後。

 

 

 

 

その時はお互い何事もなかったように

御飯を食べ、近況を報告しあったりするのだろう。

 

 

 

何も変えることのないキスに

私たちが成功したらいいな、と思う。

 

 

 

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幸せへと続く道

行き止まりと思ったその先にも

意外に道はあるもんで

 

実はそこからが

おもしろかったりする。

 

 

==========

 

3年後の自分が

何をしているのか想像できない。

 

 

いや。

 

実は3年どころではない。

 

 

半年後の2017年が終わる時でさえ

実は想像できていないというのが

本当のところである。

 

 

 

 

子供の頃の自分が知ったら

きっとびっくりするだろう。

 

 

 

そんな大人にはなるまいと

イヤイヤ習っている習字を

一生懸命にやり続けようとするかもしれないし

 

 

英語だけでは足りないと

(あ、英語もそんなにできません)

スペイン語や中国語なんかも

勉強しはじめるかもしれない。

 

 

「モテたいなら

変にでしゃばるな。

フツーでいい。フツーにしてろ」と

教えてあげたいし

 

 

結婚する時には

「その結婚はやめとけ」と

超真剣に止めに入ってあげたい。

 

 

子供に手がかかる時期には

「他の事は最低限でいいから

子供との時間をめいっぱい楽しみなさい」

と言ってあげたい。

 

 

 

こんな風に書くと

今の人生が悪いように感じるかもしれないけど

決してそうではない。

 

 

今までの人生の中には

「あの時

あ〜しとけばよかったこ〜しとけばよかった」

という後悔もあるけれど

 

その時その時

未熟ながらに一生懸命考えて行動してきて

今、私はとても幸せな環境にいると思う。

 

 

もちろん

「もっとこうだったらいいな」

「こうなったらいいな」というのはあるけれど

だからといって不幸ではないからね。

 

 

「な〜んにもしたくない」

「なにからも自由でありたい」と願って

手にいれた生活だけど

最近、本当に退屈になってきた。

 

 

仕事をやめて一年。

子供達の食事作りも月に3回ほどでいいし

彼氏とも一ヶ月前にバイバイした。

(急に会いたいと思わなくなった)

 

 

 

自分一人の有り余る時間の中で

行き止まりまで来てしまった感がある。

 

 

 

今日は射手座の満月ということで

行き止まりのその先にある道へと出て行くには

丁度いいタイミング。

 

 

その道で

新しい仕事やパートナーに出会えるだろう。

 

具体的なことはまだわからないけど

その道を進んで行くにあたり

これだけは決めていることがある。

 

 

それは・・・

 

 

自分を安売りしない。

ふさわしいものを選ぶ。

何も諦めない。

 

 

ということ。

 

 

 

 

だって宇宙が問いかけてくれているから。

 

それはあなたが心から望んでいること?

一番欲しいものを求めてる?

妥協してない?どこかで諦めてない?

 

 

せっかく

「欲しいものはすべて手にいれていいのよ」

と言ってくれているので

「ありがとう」といって受け取ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

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今日もいい風が吹いている

考えすぎの誰かさんには

頭の中に風が吹いてるぐらいがちょうどいい。

 

寂しがり屋のわたしには

不自由なぐらいがちょうどいい。

 

 

 

============

 

 

最近気づいたんだけど

わたしはどうやら「風」が好きみたい。

 

 

 

5月ごろから10月ごろまでの風を

特に愛している。

 

 

なるべく風にあたってたい。

 

風を感じていたい。

 

 

 

 

で。

 

 

気づくと

テラス席みたいな家に住んでいた。

 

 

 

 

今住んでいるのは

1LDKの小さな小さな部屋なのだけど

やたらと窓が多い!

 

 

 

東西南北4方向すべてに

窓があるのだ。

 

 

 

小さな小さな部屋の

小さな小さな小さなキッチンには

窓だけでなく勝手口まで付いている。

 

 

小さな小さな部屋の

小さな小さな小さな洗面所には

洗面台の両脇に窓がついている。

 

 

ベッドの脇にも窓。

 

ソファーの脇にも窓。

 

 

マンションなのに窓だらけで

どこにいても屋外感があるのだ。

 

 

 

屋外感満載のテラス席な部屋なので

当然、冬はめっちゃ寒い。

 

 

暖房をかけても温まらない。

 

 

けど、

そんな寒さを引き換えにしても

わたしは「風」のある生活を選びたい。

 

というか、

無意識のうちに選んでいた。

 

 

わたしにとって、それほど風は大事なのだ。

 

 

まさに

No wind, No life.

 

 

 

 

 

わたしがこの部屋に越してきたのは

彼氏と別れた直後。

 

 

 

彼氏と一緒に暮らしていた部屋は

家賃が高かったし

一人で暮らすには広すぎたので

 

自分一人で暮らすのにちょうどいい部屋を探していて

この部屋にたどり着いた。

 

 

 

 

この部屋に越してきたタイミングで

仕事もやめた。

 

 

 

外に出る必要も

人に会う必要もないので

ずーーーーーーっと部屋にいた。

 

 

たまに人と会ったり

旅行に出かけたりしたけど

それ以外は

ずーーーーーーっと部屋にいた。

 

 

 

人間として

あかんやろっていうぐらい

なーーーーーーんにもしないで

ずーーーーーーっと部屋にいた。

 

 

 

 

 

 

あかんやろな人間にも

風は優しかった。

 

 

 

 

考えてもしかたないことを

ぐるぐるぐるぐる考えてしまっているのに気づいたら

目を閉じて頭の中を風を通っていくのをイメージしてみると

硬くなった頭や心、縮こまった身体が一瞬でほぐれた。

 

 

 

風がわたしを空っぽにしてくれた。

 

 

 

 

 

 

それにしても

何もすることがない(笑)

 

 

 

何からも自由になることが

わたしの願いだったのだけど

いざそれを手に入れると

めっちゃ退屈であることに気づく。

 

 

 

気づくの遅いわ!

 

 

 

けど

実際自分で経験してみないと気づけないんだろう。

 

 

 

というか

やってみないと気が済まないんだろうな、私の場合。

 

 

 

 

 

 

仕事や彼氏を持つ不自由さが

恋しくなってきた今日この頃。

 

 

今日もいい風が吹いている。

 

 

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